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コラム21

~携挙後のキリストのさばきの座~ 今も主は私たちとともにおられますが、携挙された時(Ⅰテサロニケ5:17)から顔と顔と を合わせてお会いすることになります。想像ができません。ですから聖書が教えるところ を信じましょう。ただお会いするのではなく、携挙の結果、信者は「人の子の前に立つ 」(ルカ21:36)ことになります。立つ場所は「キリストのさばきの座」です(Ⅱコリント 5:10)。罪をさばく場ではありません。この時は既に「朽ちないものによみがえ」ってい ますから(Ⅰコリント15:52)、全く罪のない状態です。信者はキリストの前で、地上生涯 で行って来たことに応じて報いを受けるというさばきを受けるのです。(「さばく」とは 、あちらとこちらに分けることを言う)救われた後の行為すべてをキリストが評価される のです。 「私たちはみな、キリストのさばきの座に現れて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあ ってした行為に応じて報いを受けることになるからです」(Ⅱコリント5:10)   イエスの評価の仕方は、Ⅰコリント3章10-15節に、建物の建て方のたとえで教えられてい ます。イエスという土台の上に、どのような材質で建物を建てたかがさばきの基準です。 材質には「金、銀、宝石、木、草、藁」があります。神のみこころに沿った建て方は、金 、銀、宝石です。木、草、藁は、地上における告白されていなかった罪の生活です。繰り 返し申し上げますが、その時既にからだは贖われ罪のない状態です。それと地上生涯の評 価(報い)は別です。  主は建てた材質を火で燃やされます。木、草、藁の信仰生活、その働きは燃やされてし まいます。金、銀、宝石の働きはより純化されます(3:13-15)。後者の評価は冠によって あらわされます。 ①節制し、霊的生活で勝利した者に与えられる「朽ちない冠」(Ⅰコリント9:24,25)、 ②主を待ち望みながら正しい信仰を守った者に与えられる「義の冠」(Ⅱテモテ4:7,8) ③試練を耐え抜き最後まで忠実な者に与えられる「いのちの冠」(ヤコブ1:12、黙示録 2:10) ④神の羊の群れを牧した者に与えられる「栄光の冠」(Ⅰペテロ5:2-4) 救いを完成してくださる方から良い評価をいただきたいと生きる信仰生活は祝福されるで しょう。この望みを抱き続けることができるように、聖霊が兄姉を助けてく...

コラム20

~携挙される教会~ 「携挙」とは教会が天に挙げられることです。神の救いのご計画の最終段階に入る大事 なところです。そこでは神の超自然的なわざが展開されます。携挙される教会は不可視的 な教会です。イエスを信じて救われた真の信者が全員、天に挙げられることになります。 携挙時にどのようなことが起こるのかテサロニケ第一の手紙4章16~18節に記されて います。順を追って整理します。 ①キリストが天から下って来られる ②号令がかかる  下って来られたキリストの号令で、以下が動き出します。 ③御使いのかしらの声が発せられる ④神のラッパが響く 携挙が起こるための最終的な合図です。 ⑤キリストにある死者がよみがえる 使徒2章以降の聖霊のバプテスマに与った信者の死者たちがよみがえります。旧約時代の 信者たちのよみがえりは、もう少し先で起こります。 ⑥生き残っている信者たちが、⑤の信者たちと一緒に雲に包まれて引き上げられる ➆すべての信者が空中で主イエスキリストと会い、いつまでも(永遠に)主とともにいる ことになる 携挙の時期は、患難時代に入る前です。患難時代の始まりはダニエル書9章27節に記 されています。「彼は一週間の間、多くの者と堅い契約を結び…」「彼」とは反キリスト のことで、「多くの者」とはイスラエルのことです。反キリストがイスラエルと契約を結 ぶときが患難時代の始まりです。その前に不可視的教会は携挙されます。 黙示録を見ると、1~3章が患難時代の前の出来事が記されています。そこには教会が 存在しています。また、黙示録19~22章は患難時代の後のことが記されていて、そこ にも教会が存在しています。そこでは花婿イエス・キリストの「花嫁」として表現されて います(19:7、21:2)。黙示録4~18章は患難時代のことが記されています。そこに 教会の言及はありません。つまり、患難時代には地上に教会が存在しないということです 。また、これらの黙示録の言及から、携挙される教会が可視的教会ではなく、不可視的教 会であることも確認できます。正しい教会理解は、神の計画の最終段階(終末)を正しく 理解させてくれます。

コラム19

~聖霊とキリストのからだなる教会の時代~ 神の国を造られるための計画として教会を誕生させた神は、サタンに対抗する武具とし て聖書をお与えになりました(旧約に続く新約聖書)。その武具を正しく用いるために助 け主である聖霊がおられます。教会が誕生して以来、今に至るまで教会はこの世に存続し 続けています。その間教会は、外的、内的迫害を受け続けますが、聖霊の助けと神のこと ばによって守られているのです。 さて、「教会」について詳しく説明する必要があります。今後の神の計画を正しく受け 取るためです。「教会」の本来の意味は「呼び出された者(エクレシア)」です。このこ とばは聖書で二種類の教会を指しています。不可視的な教会と可視的な教会です。 (不可視的な教会)  この教会は人には見えないけれども、神の目には見えている教会です。聖書には単数形 で書かれています。つまりこの教会は唯一です。その聖句を挙げると、「…この岩の上に 、わたしの教会を建てます…」(マタイ16:18)、「神は教会の中に、第一に使徒たち、 第二に預言者たち…」、その他Ⅰコリント15:9、エペソ1:22,23、コロサイ1:18など。この 教会の一員は聖霊のバプテスマに与っている人です。聖霊のバプテスマとは、イエスを信 じて救われた瞬間に与えられる祝福です。これは使徒2章のペンテコステの日以来に与え られているものです。つまりそこから教会が開始され、イエスが空中再臨(Ⅰテサロニケ 4:13-17)されて教会が引き上げられるまでが不可視的教会に属する人となります。この教 会は「キリストのからだ」(エペソ1:23)や「新しい一人の人」(エペソ2:15)とも表現 します。私たちはこのように、聖霊とキリストのからだなる教会の時代を生きているので す。 (可視的な教会)  この教会は人の目に見ることのできる各教会です。聖書では「コリントにある神の教会 へ…」(Ⅰコリント1:2)、「…ガラテヤ諸教会へ」(ガラテヤ1:2)等、複数形で書かれて います。立川聖書バプテスト教会もその一つですね。可視的教会と不可視的教会の違いは 、見える見えないだけではありません。可視的教会には偽りが入っています(Ⅰペテロ 2:1)。 しかし不可視的教会は真の信者のみです。 (神の計画)  終わりの日にキリストが教会を迎えに来られます。キリストが来臨...

コラム18

ユダヤ人がキリスト(メシア)を拒んだために、彼らから神の国が取り去られてしまいました。これは神のご計画の失敗ではなく、異邦人が救われる時代に入ることを意味します。それは教会の時代です。神は異邦人が先に救われることで、頑ななユダヤ人たちが救われていくことをご存じでした(ローマ11:11-14)。神がイスラエルの次に、神の国を完成させるための手段として用いるのは教会です。 教会とは、ユダヤ人と異邦人からなる「新しい一人の人」のことを言います。教会の構成メンバーはイエスキリストを信じて、聖霊のバプテスマを受けた人たちです。「こうしてキリストは、この二つをご自分において新しい一人の人に造り上げて平和を実現し」(エペソ2:15)と述べられているとおりです。また、次のようにも述べています。「時が満ちて計画が実行に移され、天にあるものも地にあるものも、一切のものが、キリストにあって、一つに集められることです」(エペソ1:10)。これがキリストのからだである教会です。目に見えるものではありません。「教会はキリストのからだであり…」(エペソ1:23)このことばは原語において単数形で記されています。つまり一つだけの教会です。それはまだ未完成です。異邦人が救われて、その後にユダヤ人が救われて初めて一つとして完成します(ローマ11:25,26)。その完成の手段として、神は可視的な各地域にある教会を建てられます(これは複数形で記されている)。その各教会に異邦人が救われるために宣教命令が与えられているのです(マタイ28:18-20)。 サタンは神の国を阻むために教会を攻撃します。しかも、一つとならなければならないユダヤ人が救われた異邦人とその教会を迫害するように仕向けました。外からの迫害だけではなく、聖書の教えから逸脱させる内的な迫害も起こしました。偽教師を教会に送り、「…曲がったことを語って、弟子たちを自分のほうに引き込もうとする者たちが起って来る」(使徒20:29,30)ようになります。 神は、教会がサタンから守られるために、真理の帯や正義の胸当て、救いのかぶとなど、防具を備えてくださいました。その中で唯一攻撃の武具として、「御霊の剣、すなわち神のことば」を与えてくださいました(エペソ6:14-17)。使徒たちの時代に既に旧約聖書はありました。新約聖書は、最初に書かれたものでAD50年代(...

コラム17

新約時代 ~教会の誕生~  ユダヤ人たちのイエスに対する憎しみは尋常ではありませんでした。それは神の国を完成させないためのサタンの働きです。ユダヤ人たちが救われたら神の国が完成することを彼は知っていたからです(エペソ1:10、2:14-22、ローマ11:25-27、ガラテヤ3:19-21等)。 サタンがユダヤ人たちに抱かせた憎しみがイエスを十字架につけたことは、サタンの大失敗です。それで神の贖いのわざが実現したのですから。十字架と復活の出来事以後も、サタンの「ユダヤ人が救われないように」計画は進められました。それは彼らの歴史を見れば明らかです(ローマ帝国やナチス・ドイツの支配等)。  神の計画に打撃を受けているようにも見えますが違います。神はご自身の国を造るために、新たな計画を立てておられました。それは教会を誕生させることです。イエスの復活後、イエスは大事な約束を弟子たちに告げられました。「…あなたがたは間もなく、聖霊によるバプテスマを授けられる」(使徒1:5)  イエスをキリストと信じた瞬間、その人に聖霊が降られます。それが聖霊のバプテスマです(使徒2:38,39)。そして、その人たちによって教会が形成されるのです(使徒2:41)。神はユダヤ人たちが不信仰に陥ったので、神の計画を進める新しい民として、教会を建てられたのです。これは、「イスラエル(ユダヤ人)で失敗したから、次の計画」ではありません。今後、教会が建てられることにより、多くの異邦人が救われていきます。神の計画はまずユダヤ人だったはずです。しかし彼らはサタンにそそのかされ、傲慢と憎しみのかたまりになってしまいました。だから、神はそのかたまりを打ち砕いて、悔い改めることができるように、異邦人の救いを先にしたのです(ローマ11:11,25,26) この「二つのもの(ユダヤ人と異邦人)を、一つのからだ」(エペソ2:15,16)に造り上げることが地上における神の国の完成です。神の知恵と力は無限です。それは神の愛から流れ出て、現に私たちに及んでいるのです。

コラム16

新約時代 ~「神の国」の宣教~ イエスの宣教メッセージの中心は「神の国」です(マルコ1:15)。旧約時代の預言者た ちは神の国の到来を預言していました。ユダヤ人たちはこれをメシア王国(千年王国)と 呼びます。イエスは神の国の福音を宣べ伝えるとともに、奇蹟を行い、来るべき神の国の 王としての権威を示されました。 イエスは神の国の福音をまずユダヤ人に伝えました。ユダヤ人たちはこれを拒みました 。彼らはイエスがキリスト(父なる神の任命を受けたメシア)であることを否定しました 。そしてイエスが語る真理のことばに対してねたみを抱き、殺そうとしました(マルコ 3:6)。イエスへの殺意の背後には、神の計画を阻むサタンの働きがあることを覚えなけれ ばなりません。イエスを拒んだ罪のゆえに、ユダヤ人に提供されていた神の国は彼らから 取り去られました。 これはサタンの勝利でしょうか?いいえ、神はユダヤ人の不信仰をご自身の計画の成就 のために、かえって用いられました(ローマ11:25,26)。イエスを拒否した民は、最終的 にイエスを十字架につけることを要求します。イエスの死は「世の罪を取り除く神の子羊 」(ヨハネ1:29)としての死です。罪人が罪の赦しと永遠のいのちを得るための救いは実 現したのです。サタンとしてはユダヤ人の誘惑に成功したことが裏目に出たのです。 イエスは十字架で確かに死なれ、三日の後によみがえられました。そのよみがえりは、 イエスの死が私たちの罪を赦す効力があること、死とサタンに勝利したこと、神の国建設 が大いに前進したことを明らかにしました。 イエスは四十日の間、弟子たちに復活の姿を現し、神の国のことを語られました(使徒 1:3)その後天に上げられました。その時御使いにこう言われました。「ガリラヤの人たち 、どうして天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイ エスは、天に上って行くのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになります 。」(使徒1:11)これはイエスの再臨の預言です。神の国が完成するのは、イエスが再臨 されるときです。

コラム15

新約時代 ~「女の子孫」の誕生~ 創世記3章15節の約束されていた「女の子孫」がついに誕生しました。「しかし時が満ちて、神はご自分の御子を、女から生まれた者…として遣わされました」(ガラテヤ4:4)人間の女である乙女マリアから生まれた赤ちゃんは「イエス(神は救う)」とつけられました(ルカ1:31)。マリアに懐妊を告げた御使いはイエスを次のように紹介しています(ルカ1:32-33)。①「大いなる者」:偉大な者 ②「いと高き方」:神の御名そのもの ③父ダビデの王位/ヤコブの家を治め:ユダヤ人のメシア ④とこしえにヤコブの家を治め/その支配に終わりはありません:イエスの再臨とメシア王国(千年王国)の実現の宣言 メシアの誕生を阻んできたサタンの計画はすべて失敗に終わりました。しかし、イエスがお生まれになってから2年の間に、ユダヤの王であったヘロデによって殺害事件が起こりました。幼子イエスは、ヘロデの殺害計画を御使いから聞いた両親とともにエジプトに逃げました(マタイ2:13)。怒ったヘロデは、イエスが生まれたベツレヘムとその周辺一帯の二歳以下の男の子をみな殺してしまいました(マタイ2:16)。 イエス誕生を阻止できなかったサタンの次のねらいは、救いのわざである十字架を阻むことです。イエスが宣教を展開されているときはユダヤ人たちから幾度も殺意を向けられました(マルコ3:6)。これらはすべて背後にいるサタンの恐ろしいまでの執念です。彼は十字架における人間の救いをほんとうに阻むことができると思っているのでしょうか?十字架にかかられる前夜、イエスはサタンとの戦いを振り返り、こう言われました。 「わたしはもう、あなたがたに多くを話しません。この世を支配する者が来るからです。彼はわたしに対して何もすることができません。」(ヨハネ14:30) 世に対して絶大な悪影響を及ぼすサタンですが、イエスに対しては無力です。イエスの側につく者は幸いです。