コラム18

ユダヤ人がキリスト(メシア)を拒んだために、彼らから神の国が取り去られてしまいました。これは神のご計画の失敗ではなく、異邦人が救われる時代に入ることを意味します。それは教会の時代です。神は異邦人が先に救われることで、頑ななユダヤ人たちが救われていくことをご存じでした(ローマ11:11-14)。神がイスラエルの次に、神の国を完成させるための手段として用いるのは教会です。 教会とは、ユダヤ人と異邦人からなる「新しい一人の人」のことを言います。教会の構成メンバーはイエスキリストを信じて、聖霊のバプテスマを受けた人たちです。「こうしてキリストは、この二つをご自分において新しい一人の人に造り上げて平和を実現し」(エペソ2:15)と述べられているとおりです。また、次のようにも述べています。「時が満ちて計画が実行に移され、天にあるものも地にあるものも、一切のものが、キリストにあって、一つに集められることです」(エペソ1:10)。これがキリストのからだである教会です。目に見えるものではありません。「教会はキリストのからだであり…」(エペソ1:23)このことばは原語において単数形で記されています。つまり一つだけの教会です。それはまだ未完成です。異邦人が救われて、その後にユダヤ人が救われて初めて一つとして完成します(ローマ11:25,26)。その完成の手段として、神は可視的な各地域にある教会を建てられます(これは複数形で記されている)。その各教会に異邦人が救われるために宣教命令が与えられているのです(マタイ28:18-20)。 サタンは神の国を阻むために教会を攻撃します。しかも、一つとならなければならないユダヤ人が救われた異邦人とその教会を迫害するように仕向けました。外からの迫害だけではなく、聖書の教えから逸脱させる内的な迫害も起こしました。偽教師を教会に送り、「…曲がったことを語って、弟子たちを自分のほうに引き込もうとする者たちが起って来る」(使徒20:29,30)ようになります。 神は、教会がサタンから守られるために、真理の帯や正義の胸当て、救いのかぶとなど、防具を備えてくださいました。その中で唯一攻撃の武具として、「御霊の剣、すなわち神のことば」を与えてくださいました(エペソ6:14-17)。使徒たちの時代に既に旧約聖書はありました。新約聖書は、最初に書かれたものでAD50年代(マルコの福音書)、完成したのはAD95年頃(黙示録)です。サタンはまっすぐな真理のことば(Ⅱテモテ2:15)から逃げます。ですから、私たちは神のことばを決して曲げることなく、真理を保つのです。

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