コラム1

「信仰によってアブラハムは召されたとき、相続財産として受けることになっていたところに出て行くことで(神に)従順に従った。そして、どこへ行くのかを知らないのに出て行った。」(ヘブル11:8 私訳) 自分が救われた頃のことを思い返すと、聖書を開くのもままならず、どのようにして信仰生活をしたらよいのか分からないことばかりです。カルデアのウルで生まれ育ったアブラハムは、恐らく昨日まで偶像礼拝をしていた人です(カルデア人がバビロニア帝国を建国。占星術を発達させた地)。彼はそこでまことの神を信じました。信仰生活の右も左もわかりません。でも、それが信仰生活であることをアブラハムから教えられます。「わたしが示す地へ行きなさい」と命じられた彼は、自分の親族と生まれ故郷をあとにして従いました。最終目的地は知りません。救われた私たちも、「新しい天と新しい地」(黙示21:1)と呼ばれる神の国を知りません。しかし、そこへ行けと既に神から命じられています。それが信仰生活と捉えて間違いないようです。聖書が教えていますから。 『どこに行くのかを知らないで、私は行く。  知らなくてもよいのだ。  光の中を独りで歩くよりも、  むしろ暗やみの中を神とともに歩みたい。  目に見えるところをひとりで歩くよりも、  むしろ信仰によって神とともに歩みたい」  ヘレン・アニス・キャスターリン

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